ギルダンの徒然日記+

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『ジョーカー』感想

 本記事は2019年10月4日に公開された『JOKER(邦題:ジョーカー)』の鑑賞後の感想、及び個人的評価についての記事です。先に行っておくと自分はかなり高く評価している側なので、その点はご注意を。

あと、鑑賞後からだいぶ温めて書いては修正し…を繰り返しているので文章がおかしい部分があるかもです。其の点ご容赦を。

 

 書いて誰かと共有したいけれどもツイッターでかいたらまぁネタバレ以外の何物でもないのでブログに書いていこうというスタイルです。普通の感想は世に出回っていると思うので、あくまで「ジョーカーの映画」として考えた時にどうかな、という感想について考えようかなとは。

 

 以下、「一言評価」から順番に「これまでのジョーカー像(自分の知っている限り)」、「ホアキンジョーカー(アーサー・フレック)について」、「本作の評価まとめ」と書いていこうと思います。

 ちなみにこんな事書いていますが『バットマン』原作はしっかりとは読めていません。70年分とか無理じゃよ…。主要作品しか読めてない+実写版はニコルソン、ヒース、そしてホアキンのジョーカーしか知らないのでその辺はご容赦を。本当にごめんね。 

 

02.ジョーカーについてー「何者」もジョーカーであるが「これこそがジョーカー」はないという特殊性

 多分この映画を見る前に最低限説明する必要があるのはこの部分であると思います。もう見た人を前提とした記事ではありますが、この点は敢えて説明します。特に『ダークナイト』を先に見て衝撃を受けたが、他のコミックのジョーカーやニコルソン版ジョーカー(89年版『バットマン』)など、様々な形のジョーカーを確認していない人には特に必要かとは。逆にまっさらな状態で見に行く分にはむしろおすすめです。その後色んなジョーカーを見て、彼だけの特性、ヒースジョーカーだけの特性、ニコルソンだけの特性、そして他のコミックやゲーム版だけの特性…など、色々見てみるのはアメコミファン的には勧めたいところ。作品単体としても完成しているのは間違いないけどね。

 

 さて、話を戻しますと、ジョーカーは『バットマン』のスーパーヴィラン(悪役)の一人であり、バットマンの最初のスーパーヴィランです。様々な特徴はそれこそ詳細に解説しているサイトや本などに任せます(というかパンフでも書いているので映画見た後はそっちで済む)。

  その上でジョーカーの特徴を上げたい…と思うのですが、彼の最大の特性であり問題点として、「狂気を能動的に扱うため、彼自身が何者か、どういう人格かすらわからない」、という点が挙げられます。この点はコミックの『アーカムアサイラム』などで紹介されており、異常な社会においてソレを超越した人、として扱われています。彼の記憶は混濁しており、もはや自分のオリジンすら自分ですらわからない、そういう人物です。

 そのため、恐らく共通して言える特徴は「真っ白い顔に道化師のような特徴的な化粧を施した」、「狂気じみた劇場型犯罪者」以外ないとも言えるでしょう。事実、実写版『バットマン』作品におけるジョーカーもコレ以外の共通点はなく、オリジンや人格、動機など、ほぼ全ての点が異なっている中で、唯一の共通点はこの二つ、と言えます。

  

03.ホアキンジョーカーについて

 上記を踏まえてホアキンジョーカー、アーサー=フレックについてです。色々ちょっと考えたのですが、彼について書こうとした結果あらすじ全部書いちゃったので、流石にそれはまずいと思い書き直しています。それもあったので今回の「ジョーカー」において何が彼をジョーカー足らしめているのか、どこが重要なのかについて個人的に考えてみようと思います。

 

03-01.ホアキンジョーカーの特性①自らの不定の狂気を支配した存在

 アーサーは等身大の人として映画内では存在し、様々な社会における悪意を全て受け、その上で自身が持っていた現実と妄想の区別が全てつかなくなっていった狂気の中で、「この世が(悪に満ちた)悲劇ではなく、(全てが善悪や、現実などないジョークとして笑えてしまうほどの)喜劇である」と認識し、全てを振り切って覚醒します。所謂映画の感想ではこの点を中心に「無敵の人」の物語、というふうに見ている部分があります。ついでに言えばこの点でヒースジョーカーと比較してこの映画を否定している人もそこそこ検索では見かけます。

 しかし、私個人としてはこの点は否であると思います。そもそもジョーカーのオリジンって先述の通り本当に色々ある中で、『キリングジョーク』などこれに近い、「無敵の人」的なジョーカーのオリジンも既にあります。そのうえで本作は、社会の闇に飲まれたように見えて、最初から、それこそ映画の最初の時点から「自身の周り全てを不定の狂気に支配され、それを理解・逆に支配した」存在としてジョーカーのオリジンを作ったと自分は考えています。

 パンフレットにも書いていますがほんとに全てを現実か妄想か定めてない感じがあるのですよね、今回の『ジョーカー』。最後のアサイラムのシーンなんかわかりやすいですが、他にも個人的に一番恐ろしい上に見逃したのでまた見たいと思っているのがあの子供とのやり取りすら妄想の可能性があるってところ。もうアーサーの見たかったこと全部妄想では…ってなる中で、最後のシーンはじゃあ妄想なのか?そうでないのか?それとも自身の心の内を表しているのか?そもそもこのストーリーもジョーカーの妄想なのか?アーサー・フレックなんて人物はジョーカーの妄想なのでは?と全てを揺らがしてくるのが本当にすごい。ジョーカーという人物の持つ不定の狂気の体現が出来ていて色々と寒気がしました。

 個人的にはこの点にアーサーの精神的なものを含めた病質(「笑い」の病気と重度の統合失調症?)が関わっているのは正直な話映画の書き方として衝撃的では…、とちょっとなっていたりしていました。明らかに「笑い」の病が、アーサーを狂気に映らせているとは思います。いつも笑いたくないのに笑っているから、自分が本当に笑みを浮かべている時がわからず、それに気づいたときに本当の狂気(自分自身の「悪」の才能)を知ってしまうような。更に言えば、母の病質が思い切り彼の振り切りに影響を与えていますしね。ともあれ、その結果最終的にジョーカーの狂気へと繋がっているのは、まさにアーカムアサイラム(精神病院)をモデルとした『アーカムアサイラム』を意識した描き方かな~とは思いました。

 

03-02.ホアキンジョーカーの特性②無軌道な煽動家としての運・才能

 その上で、この映画がこのジョーカーのオリジンだったとするならば、あくまで道化師たちが客観的に 「知らないけど、よくわからないけど、我々を変えてくれるであろう素晴らしいナニカ」としてジョーカーを祭り上げて暴動を起こしている中でジョーカー自身はあくまでシニカルか、或いは狂気として「笑って」いるだけなのが非常にジョーカーらしいと思いました。

 彼は元同僚の殺害や見逃し、そしてマレーの殺害やその前後の言動にしても、無軌道に、主観的に、衝動的に「やり遂げてしまった」だけなのですよね。だけど、周りはソレを見て彼を救世主として祭り上げ、それに対してジョーカーも全く普通のアーサーの姿を見せずに、あくまで「ジョーカー」として狂気に乗っかる事が出来てしまった。この「無意識的・意識的を抜きにして、狂気的な行動によって煽動家となれる運・才能」もジョーカーの特性として彼が持っているものかなとは。

 多分、我々はなれるとしてもあくまで「ジョーカーを祭り上げるピエロたち」なんですよね。そもそも行動としてやり遂げてしまうことも、それを見た周りの感想を客観的に笑う事もできない。ソレが出来るのはジョーカーだけだ、とは作中でも明確に提示していると思います。

 まぁ、それはそれとしてそのような「ピエロ」になってしまう人々が普通に境遇を含めありえる、ということについては現状ちゃんと議論しなきゃいけない部分とは思いますし、その議論のきっかけにはなる作品には『ジョーカー』はなっています。むしろ、きっかけにしてきちんと議論すべき議題かとは。ここ数ヶ月本当にこの問題が現れていますしね…。

 

03-03.ホアキンジョーカーの特性③あの男がいない世界における彼の誕生

 最後の点として、このホアキンジョーカーで最大の特徴と言えるのがバットマンがいない」+「ジョーカーが誕生することによってバットマンが生まれた」点。基本的にジョーカーはバットマンがいるのが前提のオリジンが殆どです。ニコルソンジョーカーはバットマンを生んだきっかけではあるのですが、それはあくまで個人的な因縁で、ジョーカーになったのはバットマンのせいですし、『キリングジョーク』ですらそう。多分ヒースジョーカーも善なる精神的な超人であるバットマンがいるからこそ悪を肯定するために生まれたような存在でしょう。

 だけど、アーサーには「バットマン」、いやさ「ヒーロー」がいない。だから、他のジョーカーのように「お高い」存在にはなれない。あくまで一人の人間の闇そして無数の人間がまとまった社会の闇からジョーカーとして生まれるしかなかったのではないかと思います。

今回のジョーカーの感想で、ジョーカー本人の物語を含め世界がありふれすぎた存在である事に対して「安い」と批判している感想があったのですが、それもむべなるかな。なにせ物語のようなヒーローもヴィランもまだ生まれていないのですから。その中でも、いつもどおり社会の闇の煮こごりみたいな街であるゴッサムシティは、世を変えてくれる「誰か」を必要としていたのは間違いなく、ゴッサムは結果的にアーサーがこの世界初の「ヴィラン」として生まれるきっかけを作ってしまったのでしょう。この方向、つまりは「無辜の人民から生まれる狂気や悪意」からジョーカーのオリジンを描いたのは個人的には初めて見たので、その意味では本当に衝撃でした。

 

 この『ジョーカー』後、バットマンが生まれることは確定したわけですが、彼とジョーカーが相対するのかどうか、という点は気になります。個人的にはジョーカーはあの後良い意味でどうなってもよいのですよね、ジョーカーという「無辜の怪物(敢えてFate的な表現)」は生まれてしまったのだから。だからバットマンに相対するジョーカーは誰でも良いと思っていたりします。その上で、もしアーサージョーカーがバットマンに相対するのであれば、それもこの世界において正義を成すことを狂気として笑うか、逆に自分の頃に何故自分を引き止めるものがいなかったのかと涙するか、になるでしょう。正にいつものバットマンか、『キリングジョーク』のように。

 割合気になるのはこの点において、ウェイン家の人々がどう書かれているか、という点でしょう。結構「トーマスはクズ的にかかれている」と考えている人が多いですが、正味な話どちらとも取れるようには書いていると思います。ピエロの話についてはある種凡庸とも取れる表現(結果批判され暴動の種になっていますし)を取っていると思いますが、ソレ以降のアーサーとの邂逅については正直彼の言っている事が本当かどうかを含め諸々「アーサー視点」であることが色々と混乱を招きまくってる部分ではあるので…。

 ともあれ、トーマスがガチ悪人であった「Batman - The Telltale Series」においてもブルースはかなり善人に育っているので、あの出来事のあとアルフレッドがトーマスを一生懸命に育てれば普通にバットマンになりそうな気はします。いずれにせよ、それが後に語られるかどうかは神のみぞ知る的なところですが…。

 

 

04.本作の評価まとめ

 まとめとして…といっても大体書ききってしまったのですが、簡潔に本作を「ジョーカーの映画」としてまとめると以下のようになります

・「ジョーカーのオリジンの一つとして完成度が高い作品」

・「ジョーカーが持つ特性を明らかに持つ、ジョーカーとしか言えないジョーカーを、2010年代今ある現実社会の闇の煮凝りを一身に受けた「一人の狂人」から作り上げた作品」

・「ジョーカーの持つ「不定の狂気」を作中全面に押し出した作品」

・「上記を、主演のホアキン・フェニックスを含め様々な役者がこれでもかという演技力で表現した怪作」

かなとは。普通の映画としても評価が高いと個人的には思いますし、ジョーカーというヴィランを描いた映画としても一石を投じるものになりましたし、個人的にはヒースジョーカーやジャックジョーカーと並ぶ実写ジョーカー像をホアキンジョーカーは作ったとも思います。

 

 ちなみに今回書いてないですがホアキンの「顔」の演技が本当にすごいのですよ。アーサー時の「笑いたくないのに笑いが出る状況」の「悲しい、泣いたような、苦しいような笑い」と、本当の「笑み」の差異や、「笑い終えた後の無表情への変化」などなど。そしてジョーカーになった後、割り切ったが淋しげな笑みと風情を浮かべたジョーカーの演技の変化のつけ方がしっかりしている。パンフで監督とホアキンがお互い議論しあって詰めていった演技と言っていましたがよくここまで仕上げたな、と改めて思いました。

 ついでですが、自分の簡潔な一言評価で言えば「素晴らしい(恐ろしい)喜劇(悲劇)」なのですが、もう一言入れるなら「これジョーカーが作った、見た人を試す映画では…?」とは。多分人によって受け止め方が千差万別だと思うのですよね。賛否両論になるのもまぁわかるタイプ。ここまで振り切った作品は中々作れないとは実際思いました。

 

最後に思ったんですが、この様々な反応を見てジョーカーが笑ってそうなのが浮かぶんですよね。そういう情景が浮かぶ事すら考えてしまう、すごい映画でした。